第100回箱根駅伝 観戦記
大学情報
2024年1月7日
第100回箱根駅伝 観戦記
※掲載の写真は、現地で撮影したものです。
▼1977年(昭和52年)商学部卒の高野勝です。今年の箱根駅伝は100回目の記念大会となり、昨年行われた予選会には全国の大学に門戸が開かれました。本戦出場校も23校となり通常の大会より3校出場枠が増えたものの、予選突破校は全て関東地方の大学となり、出場校増の恩恵は関東地方の大学が受けました。今回の箱根駅伝、往路は大手町→保土ヶ谷→小田原、復路は大磯→大手町で観戦しました。
▼大会前には、昨年三冠王を達成し、本年も出雲駅伝、全日本大学駅伝を制した駒澤大学の史上初となる2年連続三冠王の呼び声が高まっていました。
しかし、結果は往路、復路とも青山学院大学が圧倒的な強さの大会新記録で6回目の総合優勝を果たしました。特に、往路では2区黒田選手(写真)、3区太田選手の好走が青学全体の流れを作りました。復路は独走で2位との差を広げる完勝でした。
▼明治大学は1区で8位と、まずまずのスタートを切ったものの、期待のエースが揃う2区、3区、4区がまさかの失速で22位に沈みます。さらに箱根駅伝名物の山登りでも区間21位に終わり、往路23位と最下位の成績でした。
▼復路は首位青学から10分以上遅れたチームが8位大東文化大学以下16校あり、繰り上げ一斉スタートとなりました。これが復路を走る順位と実際の順位が違うというややこしい状況を招きました。
▼明治大学の復路は、7区を終わって23位でしたが、8区1年生の綾君が区間3位の好走、9区も8位で走り17位と順位を上げました。しかし、アンカーが22位に終わり、総合最終成績は20位となりました。シード権争いに全く絡むことのできない残念な大会でした。
7区尾崎主将が早大と競り合う
▼今回、予選会から出場した大東文化大学(大東大)と帝京大学が見事シード権を獲得しました。予選を1位で通過し、本戦でも10位になり、見事シード権を獲得した大東大と明治大学(明大)の区間ごとの順位を比較します。
まず、目につくのが明大は区間20位台が4区間あるのに対し、大東大は8区の1区間のみでした。また、大東大は各校のエースが集う2区で12位、9区11位と、何とかシード権に手が届く位置をキープしています。明大は2区23位、9区8位でしたが、2区の出遅れが大きく響いています。各校のエキスパートが揃う5区の山登りでは、大東大は4位、明大は21位と大きく差をつけられました。
明大は復路は頑張り、8位で往路から3つ順位を上げ20位でしたが、大東大は復路17位でも往路から2つしか順位を落とさず10位でシード権を獲得しました。大東大は「こらえる区間」と「攻める区間」のメリハリをつけて強化してきた真名子監督の作戦がズバリ当たったといえるでしょう。
明大はエースたちが軒並み不調だったことに加え、山登りで往路最下位になるという事態でした。調整の失敗に加え、戦略の不徹底があったのかもしれません。予選3位の帝京大学も、本戦8位でシード権を獲得しています。明大の戦前の目標順位8位は適正な目標とみてよいでしょう。ただし、そのための明確な作戦があったかどうかは疑問です。いずれにしても、本年10月の予選会を勝ち抜いて、明年の箱根駅伝こそシード権を獲得してほしいと思います。
高野 勝(1977年、商学部卒)